2017年7月9日日曜日

2017都議選 選挙結果から考える④ 自民批判の受け皿として

 今回の共産党の議席増によって、自民党批判の受け皿として共産党も選ばれていたことは明らかである。無党派層の投票先の2番目が共産党だった。そして「埋没」予想を覆しての「議席増」であった。

 しかし、良心的な知識人がコメンテーターとして出演しているTBS「サンデーモーニング」の7/9の放送では共産党の今回の事実は一切触れずの、国政での受け皿がない。という主張のオンパレードだった。良識的な知識人が反共嫌共リベラル派だとしても、番組の報道としても事実として触れもしないで、安倍一強を嘆くだけの番組に?がいっぱいついた。

 都議選後、反安倍報道の「毎日新聞」で首相の単独インタビューがあり、その系列TV局のTBSの反安倍姿勢番組で、決して共産党が受け皿になったことが報道されない・コメントしないのは怪しいと思うのは思いすごしだろうか。

 ちなみにこの日の裏番組、フジ「報道2001」で若狭衆院議員が小池支援の国政政党が憲法改正で安倍政権と協力する可能性に含みをもたせた。これでサンデーモーニングが求める「受け皿」として小池新党をすすめるのか。

 まったくもって、単独インタビュー=売上増=総理に足を向けて寝てられないということか。これでは反骨だと思っていた岸井にもがっかりだ。しかし、岸井は小選挙区制を見直さないとこの1強は解消されない的なことを言っていた。風呂上がりだったので正確ではないが・・・。

 政治改革と称してマスメディアもごぞって進めた小選挙区制と二大政党制・政権交代の幻想の過ちを認めるならば、この選挙の民意の事実から目を背けた姿勢では1強を倒す民意を生み出すことはできなういと思う。

2017都議選 選挙結果から考える③ 築地と豊洲の地元の結果から

 共産党議席増の背景を考えてみたが、やはり共産党の訴え-選挙政策が良かったからではという声もあるだろう。今夏の選挙での共産党ならではの政策といえば「豊洲移転反対、築地再整備」だろう。食の安全を重視し、小池都知事の「豊洲移転、築地再開発」に落胆した市民は共産党に投票したことが考えられるだろう。しかし、出口調査では市場移転問題を選んだ人は少なかったとか。

 そこで築地がある中央区、豊洲のある江東区の共産党の結果はどうであったのか考えてみたい。

 まず、中央区。ここは定数1。当初、共産党は候補者を出してなかったが、衆院2区予定候補を築地移転反対の候補者がいないということで候補者を用意した。しかし、都の市場PTメンバーで豊洲の問題点を指摘していた建築士の森山氏が出馬したことで候補者を下ろしたのであった。自民党の現職は離党し無所属で築地再整備を訴えて立候補した。両氏の得票計は1万5578票と2位の自民新人に及ばなかった。築地の地元でも小池氏の考えが支持されたようだ。

 次に、移転先の豊洲がある江東区。ここは定数4。ここの共産現職・あぜ上氏は民主党旋風が吹き荒れ、8議席に後退した2008年の都議選で初当選している。下町でもあり、中選挙区時代は不破前議長の選挙区でもあった。自身も区議を6期努めており、無党派層が増えているが、厳しい選挙で勝ち上がってきたことを考えると比較的当選が見込まれていた選挙区かもしれない。告示日の第一声に国会議員が入ってないとして、大門参院議員が志願して応援に入ったとか。しかし、なかなかNHKで当確がでない。定数3の目黒、豊島、北などで出ても江東ではまだ出てなかった。他区よりも勢いがなかったのではないだろうか。実際、前回よりも得票は増えているが得票率が下がっており熾烈な選挙戦が繰り広げていたのだろう。それも、争っていたのが民進党を離党し都民ファーストの推薦を受け、旦那が民進党衆院議員の柿沢氏だった。

  「豊洲移転反対、築地再整備」という共産党だけの主張が地元で受け入れられなかったのか。想像するに、豊洲移転反対=豊洲は危険な土地という主張が豊洲に住んている人たちにどれだけ納得してもらえたのかという問題がある。つまり、共産党の主張で豊洲全体が風評被害を受けていると思われているのではないだろうか。そこに他区にあった勢いが豊洲の地元では出ず、苦戦しての当選だったのではなだろうかと思うである。

 とは言っても、あぜ上氏と柿沢氏の票差は3900票差であった。都民の新人はトライアスロン関連会社社長の肩書き。東京五輪の会場でもあり、夢のある主張があったと思われる。自民の現職は江東区長の親族だったはず。そして公明現職と続く。地元を悪く言う人より、希望があり、夢のある話のほうが聞いていて気持ちはいいと思う。移転しなくてあの建物が残っても…と思う豊洲住民からしたらなかなか共産党の主張に流れるような気がしないのである。

 党史に刻める「歴史的勝利」=主張が認められたと決め付けるのは危険のような気がする結果でもある。こういうあたりを考えて、どう小池氏の政策判断に向き合うのか。共産党の考えは明らかであるが人口増の無党派層が多い地区を敵に回すようではこの躍進もこれまでになりかねないような気がするのは思いすぎだろうか。

2017都議選 選挙結果から考える② 共産党議席増の背景

 今回の都議選でなぜ共産党は「埋没」せず、「議席増」できたのか。その背景を考えてみたい。

 まず、この4年間の都議団の活躍がしっかりと都民に映っていたのではないか。舛添辞任、豊洲地下空間問題、百条委員会など大きくメディアに取り上げられるときに必ず共産党都議がいたと思う。しかしそれは東京における市民運動レベルでの共産党への信頼を高め、前回並みの支持はなんとかつないでいけるかくらいの程度で、百合子旋風の中で確実に当選につなげるかといえばそうではなかったのではないか。なので下馬評では10~14議席の予想となっていたのだろう。

 では、なぜ共産党は「議席増」の躍進を成し遂げたのか。それは、国政における自民党の失点が影響しているのは明らかだ。都議会自民党の小池いじめや塩対応への批判は都民ファーストに行ったと思われる。国政における反安倍批判票は都民ファーストとともに、共産党にも多く流れ、そのことが共産党の得票増となり、自民党と競り合う結果を出したのではないかと。また、自民党が逆風の中、「共倒れ」をした選挙区もあり、共産党が漁夫の利を得たところもあったはずだ。
 
 しかし、なぜ野党第1党の民進党ではなく、共産党なのか。それは都議選最終週の日替わり失点をする前からずっと反安倍の姿勢を訴え続けていたことと、民進党の都議選前の離党ドミノの姿を見ていた都民としては都議会では共産党という判断だったのかもしれない。これが国政選挙になったときは共産党ではなく民進党に入れる人もいると思う。また、民進党に票が集まらなかった理由は集票マシーンである「連合」が都民ファースト支援で回ったからだろう。

 このような状況で自民を追い詰めきれなかった共産党の強い地域、文京区と日野市。ともに定数2。文京区は215票差、日野市は863票差である。おそらく公明党・創価学会が票を自民党にも回したのではないかということが予想できる。同じ定数2で当選した北多摩4区も共産党の強い地域。しかし、ここは自民党以外にも都民ファースト公認の新人と都民ファースト推薦の無所属現職がいて選挙の様相が違うことが考えられる。ちなみに公明党が出ている定数3で共産党も議席を獲得したのは墨田区と中野区以外の5選挙区で、北多摩1区では1085票差、北多摩3区では646票差で競り勝っている。

 こういった接戦を勝つ上で、反安倍批判票を小池でも民進でもなく共産党が一番安心して託せる政党と選んでもらえる候補者の魅力、日常の政治活動が根底にあったことはいうまでもない。翌日の新宿街宣はそのことを思わせるものだった。

 文京、日野でも競り勝てれば、自民と共産が21議席で並ぶという状況になっていた。NHKの議席予想の幅が大きかったのも、このような状況もあり得るとのことだったのだろう。だったら起こしたかったというのが正直なところである。

 共産党の応援態勢をみると、定数3のほうが幹部の応援が多かったのは勝てそうな定数2よりも定数3が固めきれなかったのではないかと予想できる。そういった中では今の共産党のリアルな現状と直視したほうがよいのかもしれない。

2017都議選 選挙結果から考える① 共産党議席増の歴史的意味

 今回の都議選は「都民ファーストの会」という小池新党が緑を身につけ、都民ファーストと名乗れば当選できる状況で、共産党は埋没すると予想されていた。おそらく党幹部もそのような自覚をしていただろう。開票特番の序盤では共産党の若林都委員長や小池書記局長から「都民ファーストの出現という難しい条件のもとでの選挙」との言葉が厳しい顔とともにテレビに流れた。これが翌日の敗因声明となるのだろうなと感じた。

 しかしだ。最後の議席を自民党に競り勝った選挙区にどどっと当確出ると現有議席に迫り、並び、追い越すという状況に。「難しい条件の下でも、政権批判の受け皿になり勝利できた」という状況に。共産党にとっても「予想外」の勝利だったのではないだろうか。

 と、言うのも前回の躍進は民主党への信頼回復がされず、2000年代以降の2大政党・政権交代に流れたリベラル・市民派の一部が共産党に流れ、民主党の共倒れなどもあり共産党が躍進したわけだ。そう考えると都民ファーストがいなくても若干議席が減ることは容易に考えられた。

 そこに、小池新党「都民ファースト」の出現だ。高い支持率を背景に候補者を大量擁立したわけだ。若干、公明党の選挙協力により、過半数の候補者を立てるのは辞めたということが結果的に最後の議席を共産党に争わせる状況をうんだわけだが。しかし、「新党」や「第三極」が戦後政治史において共産党や革新勢力の躍進や台頭を抑えてたことを考えれば、「第三の躍進期もここで終わりか」というのが選挙前に誰もが思っていたのではないだろうか。党創立95周年の年に何とも言えない仕打ちだ。だから議席減を最小限に抑えるためにも小池都政に協力的な是々非々など、反小池のレッテル貼りを避けたい共産党の思いはよく伝わってきた。

 90年代の躍進期を振り返ると、国民の政治不信の中、93都議選に小池氏も加わる日本新党が「新党ブーム」をつくり、共産党は勝てなかった。地元、八王子は定数が1増の4になって議席をめざし市議だった清水さんが出たが、日本新党から出だ市議の上島氏が当選して落選している。父の「日本新党にもっていかれたなぁ」という感想が耳に残っている。その後の非自民非共産政権が短命で終わる中、95統一地方選・参院選、96総選挙、97都議選、98参院選、99統一地方選と連続躍進につながった。2000年総選挙は議席を減らすも、小選挙区の得票は伸ばしていた。そんな中それ以降の選挙が「政権選択選挙」のキャンペーンで共産党が選択肢から外れたのだ。その後も「第三極」などの言葉でが出るたびに共産党が「伸びる条件」があっても「伸びない」状況が続いたのだ。

 このような歴史的背景を考えると、今回は「新党ブーム」もある中で共産党の議席が伸びたという戦後政治史ではじめての経験であり、32年ぶりの2期連続議席増という共産党史に刻まれる「歴史的勝利」というわけだ。

 それでは、この共産党史に刻まれる「歴史的勝利」はどのような条件・背景のもと収めることができたのだろうか。次回はこの点を書き留めておきたい。