2015年9月13日日曜日

国会デモ、国会前抗議

決して広い広場があるわけではない国会前(または官邸前)なのか。
それは抗議する対象だからなのだろう。

3・11後は東電前や経産省前もそうだし、
経団連前の抗議なんてのもあった。

法案を審議している国会に廃案要求する。
法案は違憲だから審議をやめろと憲法尊重擁護義務のある国会議員に要求する。
法案に反対の意見が多いから慎重審議を要求する。
それで法案強行を辞さない安倍政権の退陣を求める。(総辞職or不信任案可決)

やはり国会前で言うのは悪くない。

60年安保の時も条約批准に向けて審議をしていた国会前にたくさん集まった。
そしてデモを国会まで行ったのだ。
それが請願デモとして運動の定番となった。

憲法に保証された請願権の行使である。

第16条
何人も、損害の救済、公務員の罷免、法律、命令又は規則の制定、廃止又は改正その他の事項に関し、平穏に請願する権利を有し、何人も、かかる請願をしたためにいかなる差別待遇も受けない。

署名をもって請願したのであった。
しかし、そんなお行儀いい人ばかりではない。

反対の意思を直接伝えたいという表現の自由から大きくデモや集会は保障されている。
そして、審議をしている国会前に多くの人が集まったというわけだ。
そこでは警備警官とももめ、国会正門への進入(侵入?)という事態もおき、女子学生が死亡している。そういったなか、条約は参院で採決することなく自然成立したのであった。

それ以後、60年安保のような国民的運動(闘争)が起きなかったのである。
10年経って日本側から条約破棄の提起が可能になった70年安保でも広がらなかったのである。

そして、2007年。日本国憲法と同様に戦後民主主義価値が盛り込まれた教育基本法の改悪に第一次安倍政権が着手。これに反対する運動が当時としては盛り上がった。特に日比谷集会や銀座デモ、議員会館前座り込み、成立時には官邸前抗議というのもあった。

この運動で発覚したのは国会包囲(ヒューマンチェーン)をしようとしたら警察から警備上NOを突きつけられたということだ。60年安保以降国会を直接取り囲む歩道は内規でダメだとか。60年安保を闘って以降も運動していた人からの報告があった。いかに60年安保が衝撃的だったかが47年たち明らかになった瞬間だった。結局、国会裏の道路をはさんだ歩道(議員会館側)でのヒューマンチェーンだった。それ以後は工夫して国会を大きく包囲していると思う。

だから830国会前行動で正門前の道路を封鎖したのは警備上過剰とはいえ、警察内規に警備する側も主催者側も従ったということでしょう。

だから、60年安保の再現というのは無理。

 しかし、憲法を無視して、戦争を準備する国へ変貌させる安保法案をこのまま強行採決することを阻止するために今の時代にあった政治的表現のありかたを最後まで探求してこそ、次の道が開けるのだと思う。

国会が緊迫し、あたかも運動も終盤というようなことではダメでしょう。
強行する政治家や政府への怒りとともに、
日本を彼らから取り戻すための行動に広がらなければならないのではないか。

内向きではなく外への呼びかけを、国会前でもどこからでも。
声を上げることは大切なことなのだ。

0 件のコメント:

コメントを投稿