2017年10月9日月曜日

2017総選挙 なぜ希望の党は第2保守党として出発したのか

それは小池百合子という人物が保守政治家だから。これにつきるだろう。
では、なぜ、小池百合子は今この時期に第2保守党を作るに至ったのか。

民進党が市民に押される形で安保法制など反対の立場を鮮明にする中で、「野党共闘で政権交代を」という声への明確な答えを出せない中、急な解散があり、若狭‐細野ラインもまとまらず、小池自身が手を挙げたということだろう。

そもそも小選挙区制で二大政党による政権交代という政治体制を2000年代以降つくるられてきたが、それは日米同盟と財界もうけ経済という保守二大政党が想定されていた。2003年総選挙前に民主党と自由党が合併した「民主党」も中道リベラルな保守政党として政権交代をめざした。その民主党が政権交代するために、「国民の生活が第一」ということで社会政策を左廻旋する中で政権をとった。この間、90年代後半の政治不信の中で躍進した共産党は政権選択の対象外としてジリ貧だった。

しかし、民主党の政権交代失敗後、自民党の右翼政治家・安倍が総理・総裁に返り咲き、その反発と民主党からの雨宿り支持が共産党に流れ勢力を増した。これが民主党を保守二大政党としての再生を困難にした政治的背景だった。

そうした中で参院選では政権選択につながらないとして連合も共闘を黙認する中で民主党は議席を伸ばしたが、本質的には体制側につく連合も衆院選での野党共闘は拒否したのだろう。それを党として共産党に出来ないとはっきり言えないこともあり、小池新党が保守政党を宣言して作ることで保守2大政党制の一翼の再生を買って出たのだろう。

そこに同じく保守政治家でもある前原民進党代表も乗っかり、勝ち馬には乗るぞ的な流れで多くの民進党議員が前言撤回で参加したのだろう。

つまり、小池百合子は共産党除くの政治体制を作るために「希望の党」を保守の旗として打ち出したのだと思う。

そうすると、なぜ自民党1党にまかせず、新党を作る必要があるのか。1強体制で保守政治を安定させたほうがいいのではないどろうか。安定多数のある安倍政権がなぜ解散するのかというなぞと同じような思いを抱くところである。

そこは平成保守政治の最大目標、改憲に狙いがあるのではないだろうか。
次のエントリーで持論を述べたい。

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